広報津山12月号、特集&表紙
地元の広報誌に取り上げて頂きました!ありがとうございます!
いきこと農場が始まるまでの経緯、仲間との出会いと連携。
そして食の生産者としてこれからどう生きるか、などを記事にして頂きました。
自分の農業について、多くの方に知って頂ける機会を頂けたことに感謝致します。
気持ちがより一層引き締まりますね!
これからもよろしくお願いします。
~記事内容~
県南から移住。仲間の大切さを知った稲作農家
山間部の農業で見つけた、自分に価値あるモノ
田邉晃次さん(33歳)加茂町知和
市内北部の加茂地域。この地に移住し、稲作を中心に8ヘクタールの農業を営む、田邉さんの姿があります。
「農業は平野部よりも山間部が大事だから」と移住のきっかけを語ります。
「県南の農業法人で6年働いていて、山間部の農地が荒れていく現状に危機感を感じていました。
実家は県南の兼業農家。
物があふれ、便利さを満喫する世の中に疑問を感じ、物の豊かさよりも、1つ1つの価値を大事にしたいと思い描いていました。
山間部の農業は大量生産には向いてないけど、川の源流に近く自然豊かな場所。
その価値を見出したいと思っていた時、津山の農業法人の寺元久郎さんの存在を知り、寺元さんが目指す農業に共感しました」。
今から4年前の出来事だそうです。
目指したブランド化
寺元さんの元で働いた後、独立。
「加茂地域で収穫した、おいしいお米でブランド化を目指し、収穫後に販売・営業しましたが、人手が足りず実現できませんでした」と挫折を味わいます。
衝撃を受ける
この経験から1人の無力さを痛感し、仲間探しを始めます。
そこで出会ったのが、1A晴れの国岡山・つやま青壮年部の人たち。
仲間に入り、活発な意見交換をしたそうです。
その中で「ベテラン農家でも、1人で農業を続けることは難しい」という言葉に衝撃を受けます。
「農業を20年以上続けている人が、自分だけが儲かれば良いという発想では駄目と言いました。
個人ではブランド化できない。同じ志の仲間や地域の人と共に取り組むから、ブランド化、産地化できるんだと分かりました」 と話します。
若者のために
今年4月に仲間の1人が立ち上げた法人に加わり、稲作だけでなく、畑作、酪農など、業種や地域の垣根を超え、同じ志を持った仲間が集まりました。
「農業に興味を持つ若者が、就農しやすい仕組みを仲間と一緒に作りたいです。
若い人にとって農業が就職の選択肢にならない現状を打開しないと、後継者は生まれないので、ちゃんと儲かる農業にしなくては」と今後を見据えます。
価値あるモノ
「農地を持つことが重荷に感じる風潮はおかしいと思います。
人は、土で育った農作物を食べて生きているので、生きるために必要な農地を持つことを誇りに思わないと。
土を生かすことが農業。
専業農家として農地を生かす方法を探し、次の世代が選ぶ職業になるよう、土の価値をしっかり伝えたいです」。
「農業を続けていると、水や土が、かけがえのない価値あるモノだと分かってきます。
社会で見落とされているものを、自然を通じて感じることができる。
自然が好きなんでしょうね」 と顔をほころばせました。
農家仲間からの声、紹介
米の直接販売を始めて28年 先輩農家としてサポートしていきたい
仁木ライス 仁木紹祐さん(山方)
平成5年(1993)から経営を始め、ライスセンターや設備、大型機械の導入など、規模を広げてきました。
田遥君とは2年前、JAの青壮年部に入会してきた時、初めて出会いました。
稲作の新規就農者は珍しく、わたしが稲作農家なので相談に乗り、親交を深めています。
米価の下落、資材費や肥料代などの上昇で、経営環境は年々厳しくなっています。
収益が見込める栽培を続けながら、田遽君の目指す農業経営、地域に貢献する活動に期待し、これからもサポートしていきます。
きれいな水で米作りがしたい 同じ思いで夢を語り合えるのがうれしい
10年前に定年退職し故郷へ戻りました。
地域は高齢化が進み、農業を引退する人の増加に危機感を感じ、農地を集め法人化しました。
知人の紹介で出会った田追君は、わたしの元で働きたいと言いました。
農業法人での勤務経験もあり、作業には手慣れていました。
その姿を見て、管理していた農地を預けました。
将来はわたしの後継者になってほしいという気持ちがありましたが、自分の農業を確立したいという強い思いを受け、独立をサポートしました。
独立後は農業機械を貸したり、共に農業の夢を語ったりしています。
山間部の農業は、平地と比べると費用がかさみ、収益が劣ります。
それでも田邉君は「きれいな水で米作りがしたい」と、あえてリスクの大きい土地に移住し、経営を続けています。
同じ地域、同じ目的を持つ仲間として、これからも応接します。